■ 銀行員の「必要ならまたお貸ししますから」 |
●昭和バブルの後の銀行は…
昭和バブルの金余り時代、銀行は貸し込みました。いらない金まで銀行の都合で貸し込みました。融資担当の行員に膨大な貸し込みノルマを課します。
「ずっと返済しないで結構です」、「返済されては困ります」が当たり前でした。
しかし1990年の旧大蔵省の不動産融資規制で手のひらを返します。まず銀行融資が止まり、ノンバンクも止まります。
「ずっと返済しないで結構です、と言っていたではないか」、に対して「前任者が何を言ったのか知りませんが…」。転勤してきた行員ばかりになり、任意売却を迫り問答無用で競売です。
●貸しはがしの時の銀行は…
銀行は何とひどいところか…と思い知ったはずなのに、のど元過ぎれば…。
1997-98年の銀行の貸しはがし。銀行への自己資本規制をきっかけにしての融資大回収です。
銀行員への膨大なノルマは貸付金回収でした。
返済条件見直し担保不動産処分を迫り、他行へ融資の押し付け、預金と貸付金の相殺。にわかには信じられないことが突然に現実化しました。
「取りあえずご返済ください。必要な時には必ずまたお貸し付けしますから」との銀行員の甘い言葉を信じた人は破たんに追いやられました。
また、のど元過ぎかけています。
●銀行はどう変わった
大手銀行は1987年には都市銀行、長期信用銀行、信託銀行あわせて23行でした。それが11行になりました。
確かに銀行も銀行員も苦労していますが、自らの都合だけで融資したり回収したりできます。
「晴れの時に傘を貸して、雨が降る時に傘を貸さない」のが銀行といわれます。傘は銀行の都合で貸し出されたり回収されたりします。
●もし融資が厳しくなったら
昔、銀行を信じ処理一任した人はつらい思いをしました。
自社やご自身は大丈夫ですか。借り換えは心配ないか、その他現状把握と資金調達先拡大に努めましょう。その銀行とどうお付き合いするか考えましょう。
多額の銀行借入をしていた超大企業も銀行に処理されました。大企業はそれに懲り銀行借入を圧縮しました。銀行は融資先を個人や中小企業へシフトしました。今度もし何かあって、銀行から責められるとすれば大企業よりも個人や中小企業です。
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